私の中の私

地元の親友2人と久々似合った。
決して大学では“私”というものを出さないのだが、やっぱりあの二人の前では“私”を出せる。でも今の私は、ワンゲルや合唱といった成分でもできている。ということはあの2人の前に出している“私”は完全な私ではないということになる。大学ではワンゲルや合唱での“私”を出せるが、とてもじゃないが本性は出せない。出した瞬間私のなかの“私”は完全にこの世から姿を消すであろう。
・・・といことは“私”はどこにいるのだろうか?・・・やはりあの時私は“私”ではなくなった。というよりも“私”はどこにも存在しないということになる。


いろいろ書いたがなんだかんだ言って、このblogが一番“私”に近いのかもしれない。