とーく

前半は爆睡。

後半はとーく。思っていることをがんがんいいました。京都を3時間歩いて考えたことを言う。


「無理しなさい」


無理はとても大切。無理というものは必ず必要なこと。


サッカーの試合の前日、一人が熱で倒れた。チームメイトは「無理せず寝てろ」という。しかしこの瞬間、一人のためにほかの10人は無理をすることになる。しなければしないなりの結果になる。


私は比較的無理をするほうである。登山でも腹が痛くなろうが決して口には出さない。私が「おなかが痛い」と言った瞬間そのパーティーは機能を止めなくてはいけない。それが私は嫌だ。私一人が無理をすればそのまま登山は進む。そっちのほうがだいぶいい。


ほかの手段として、無理を分割すること。おなかが痛いといった人の荷物を持ってあげる。休憩を取る。薬を分けてあげるなど。


最悪の手段は、おなかが痛くなってすぐ「下山する」ということ。さらに悪いのが、周りの人間が「荷物を持ってあげる」「薬飲む?」「休憩しようか」といってるのに、登頂をあきらめること。そんなことするぐらいなら、わたしは腹が裂けてしまったほうがいい。


手を差し伸べてでも登りたい山がある。無理してでも登りたい山がある。楽な山はないし、体調が崩れない保障はない。みんなが全力で手を差し伸べているのだから、登頂を続けてほしい。


そして何より「無理をしろ」一人が無理を放棄したとたん、他のものが無理をする。無理をしたとたんそのことは「無理」ではなくなるし、自分が犠牲になってほかのものが救われるならこんなにいい事はない。


私はどんなことがあっても山頂を目指したい。